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宇和島市は三方を1.000m級の山々に抱かれ、前方には波静かな宇和海が広がる気候温暖なJR予讃線の終点駅です。宇和島城を中心に開けた市街地には、闘牛場や伊達氏にまつわる史跡や文化財が数多く残され、美しいリアス式海岸線と豊かな自然に恵まれた町です。 |
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真珠は美しい光沢と神秘的な輝きで多くの女性を魅了してきました。宇和島は日本屈指の真珠産地。宇和海の波静かな海中で育まれた宇和島真珠は、気品に溢れた清楚な輝きが高い評価を受けています。 |
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愛媛といえば、みかん。
温暖な気候と明るい陽射し、それを受けた海と石垣の照り返しは、美味しいみかんをつくる。
その甘さとほど良い酸味は全国に出荷されています。 |
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宇和海沿岸では、漁船漁業はもちろん養殖業が盛んに行われ、特にマダイとハマチは、日本でも1、2位の生産量を誇っている。また、環境への配慮やエサの精選などにより、天然にはない、年間通しての味・肉質が一定であり、高品質で安心できる魚を生産しています。 |
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海底が岩場になってる宇和海は魚の宝庫。さらに太平洋の黒潮が流れこむので外洋の魚も回遊していて海釣りを楽しむ人にとっては、この上ない絶好スポット。中でも宇和島市の西方28Km、豊後水道に浮かぶ日振島は宇和海の上り潮ルートの真っただ中にあり、グレ、シマアジなどのほか、マダイ、ハマチ、イサギアイゴなど豊富。 |
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西国で海賊討伐を命ぜられていたが、自ら海賊を率いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁となり、大宰府を襲った。その後、小野好古らによって反乱は鎮圧された。宇和島市の日振島を反乱の拠点としていたことで知られている。 |
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明治政府司法省に任官し後、大審院長に就任。大津事件のとき、ロシアを恐れた政府の裁判への介入にも屈せず近代日本政府の司法権確立の範を示した。
「こじまいけん」の呼名でも知られている。 |
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宇和島出身の国文学者で詩人。「汽笛一声新橋を〜」で始まる「鉄道唱歌」の作者でもある。現在JR宇和島駅には建樹の記念碑があり、そこには「鉄道唱歌」の一節が刻まれている。 |
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出版社の挿絵などを広く手がけ、大正ロマン期を代表する人物として名高い。昭和34年に渡米、翌年高畠学校を開校。挿絵画家として初めての叙勲、勲五等双旭日章を受ける。現在愛媛県重信町には高畠華宵大正ロマン館があり、多数の資料が展示されている。 |
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宇和島市のほぼ中央、海抜80mの山頂にそびえる宇和島城。1601年戦国の武将・藤堂高虎が大名に取り立てられて築城したのがこの宇和島城です。以後、独眼竜・伊達政宗の長子・秀宗が入城して以来9代にわたって伊達氏の居城として栄えました。現在の天守閣は伊達氏2代宗利の時の大改修によって完成したもので、三重三層の美しい姿から別名を「鶴島城」と呼ばれていす。 |
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祭神は宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の家老で非業の最後を遂げた山家清兵衛公頼。この物語は歌舞伎「宇和島騒動」にも取り上げられ、入母屋造りの荘厳な造りの本殿と石造りでは日本一と言われる高さ12m余りの大鳥居が見ものです。 |
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七代藩主・宗紀が隠居所として造った池泉廻遊式の大名庭園です。園内には伊達家の先祖が藤原姓であったところから藤の名木や家紋の「竹と雀」に囲んで14種類の珍しい竹が植えられ、四季折々の風情を楽しめます。 |
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小高い丘の上に建てられたドーム型の闘牛場。相撲と同じく横綱から前頭まで番付があり、番付表に従って取り組みをおこないます。
試合は、直径20mの土俵で1トンを超える巨大な牛が激突し、逃げた方の負けという簡単なルールです。その白熱した戦いに魅了され、年5回の定期大会には愛媛県内外から多くの観光客で賑わいます。 |
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毎年10月の宇和津彦神社の祭礼としておこなわれており、初代宇和島藩主伊達秀宗が仙台地方に伝わる「しし踊り」をもってきたのが始まりといわれています。鹿の頭と面から垂れた紅の布で上半身を覆い、手甲、脚絆、草鞋ばきで、胸の太鼓を打ちながら唄い踊ります。哀調をたたえた古典的な歌と優美な舞は、城下町ならではの味わいです。 |
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悪魔払いとして宇和島地方の祭礼にはかかせない出し物です。顔の部分は恐ろしげな鬼面で、4〜5m余りの丸太を支柱にしています。胴体は長さ5〜6m、幅3mにおよび、牛の胴体のように青竹を割って編んだ型にしゅろの毛、あるいは赤や青の布で覆い、その中に数十人の人が入って町中を練り歩きます。宇和島では毎年7月の和霊大祭、秋祭りなどでその勇壮な姿が楽しめます。 |
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